株式会社 繁富工務店

私は昭和12年3月31日に旧北海道帝国大学工学部機械科を卒業し、同年4月1日に日立製作所日立工場へ入社、13年間茨木県に住みました。
しかし、北海道が好きでどうしても茨城県に一生住む気になれず、日立製作所を辞職したいとお願いしてありましたが、なかなか退職の許可が得られず、24年8月末にようやく許しが出て札幌に帰って参りました。当時は終戦後わずか4年しか経過しておらず、日本は不況の真っ只中にありました。
家内と子供4人をつれて札幌に来て、自分の力を信じ事業を始め、最初に注文頂いたのが北海道配電株式会社殿6,500km虻田P.Sの水車ランナー取替オーバーホールでした。私が日立を辞して仕事を始めた事を聞いて、日立製作所を辞めて私の部下であった優秀な技術者が北海道に来てくれました。私は大変嬉しく思い、皆の力を借り予定通り1台目が完成しました。北海道配電株式会社水車担当係長でいらっしゃった原田様に、私の仕事のデータを出しました処が、大変な御叱りを頂きました。「水車のレベル、センタリングが5/100ミリ以内に納まっているとは何だ、北海道配電を馬鹿にするな。水車の精度は15/100ミリ程度だ。5/100以内は蒸気タービンの事だ」と。
「それではお立会頂き、計って頂きたい」と申し上げて、一緒に測定した処が5/100以内に納まって居りました。
原田係長曰く「この計器は狂っている。室蘭支店から持って来い。」との事で、支店の計器で測定しても5/100以上は出ません。
「室蘭支店の計器も狂っている。本社から持って来い。」との事で、又測定しても5/100ミリ以上は出ませんでした。
流石の原田さんも「ウンウン」と言ったきりでした。それではという事になり水車を回した処が、今迄と異なって音もなく静かに回りました。 原田薫さんは北電一の秀才で、苫小牧工業高の出身で大学卒業の資格を取って居り、微分・積分でも大学出身者と同じ力を持っている人です。其の後原田さんは私に目をかけて下さって、沢山の仕事を頂きましたが事故は一度も未だありません。又、引き続き日立製作所様から北海道配電株式会社殿亀田発電所の運炭機新設工事を頂きました。
日立製作所を辞任してからも、日立製作所では私の事を心配してくださるので、全く有難い話です。日本発送電株式会社殿江別発電所から25MW蒸気タービンの定期検査の御注文を頂きました。島田建吉所長が送電では一番うるさい人でした。定期検査の仕事が大変に良かったので気に入られ、「これからの江別の蒸気タービンとボイラーの定期は繁富工務店に任せる。」と迄お褒めになり、電力会社の仕事が順次私の会社に指令される事になり、嬉しい限りです。
60年間北海道電力株式会社様の仕事をさせて頂いておりますが、未だ一度も重大な事故を起こした事はありません。
今後もこの実績を胸に新しい技術を貪欲に吸収しながら「安全かつ高品質」の工事施行を心がけて参ります。